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創造と迷走の日々。

03.19.16:48

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06.20.20:50

◆ある怪奇骨董屋の手記。

 私が『妖怪』という存在に魅了されて久しい。
日本の闇に語り継がれる彼ら怪しのもの、それは現代の都市伝説のように、いたずらに恐怖心を煽る出所不明の怪談話とはまるで違った背景を有している。
彼等が人の世で如何にして語られ描かれてきたのか……。
私が骨董商などという商売を営んでいるのも、そんな「妖怪の歴史」を“第一線”で収集する、崇高な目的の為に他ならない。



さて。
世に妖怪を語る者は多々いるが、私の最も嫌うものはそういう輩に少なからずいる“好奇の無知”に満足している博識気取り達の存在である。
こういった輩は総じて、小手先の憶測や創作にまみれた本を読んだだけで妖怪を知ったつもりになり、原典や由来を探ろうともしない。

例えば。
日本の妖怪には“教訓的存在”から生み出されたものが数多いのは事実だが、それを全く異質な妖怪にまでこじつけて語り分析した気になったり、だ。

白容裔という妖怪がいる。
かの鳥山石燕が描き残した一体であり、画集『百器徒然袋』の上で“ふるき布巾のばけたるもの”と記されている。
「妖怪通」を気取る輩にこの妖怪について訊ねれば、返って来るのは
「雑巾や布巾を不潔にしてはいけないという教訓的妖怪である」
「粗末に扱われた布巾が化けた“勿体ないお化け”だ」
という、一見高尚な蘊蓄披露である。

……しかし、石燕の絵にはそんな出自など一切記されていないのだ。

「白うねりは徒然のならいなるよし。この白うるりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ。」
これを読み解けばすなわち、白容裔は『徒然草』に登場する人物のあだ名“白うるり”に、布がたなびく様子である“うねり”を語呂合わせして想像した妖怪である、という事になる。
不潔な雑巾だとか勿体ないお化けだとかという表記など何処にも無い。
漫画や児童書の憶測・創作の情報を仕入れただけで思考停止した「妖怪通」が如何に滑稽な輩であるかこれで分かるだろう。

私にとって白容裔について問う事は、相手が妖怪について真に博識な人物か、それとも付け焼き刃の通気取りかを見抜く一種のリトマス紙のようなものなのだ。



そんな事を考えていた春先の折り、店に一つの小包が届けられた。
差出人は不明。旧家の蔵にあった箪笥の中から見つかったものである、という事だけが、同封された走り書きより読みとれた荷物の出所である。
中身は硝子水槽であった。
虫や魚を飼うときに使われる簡素な透明水槽で網状の蓋がされているのだが、蓋の下に一枚、目の細かいガーゼ地の布が張られている。
このガーゼの意味は一目見て分かった。
水槽の中には蛾と思しき羽虫が無数に飛び回っている。網蓋の目など容易に通り抜けてしまう小さな虫だ。そして、乱暴に丸めて突っ込まれたような布の塊。
かなり古く所々変色しているが、生地は滑らかなシルクのようである。
この虫食いだらけの布が何か価値のある骨董だとでも言いたいのだろうか……

……考えを巡らせる私の前で“それ”は、布で丸め込んで捕らえられやっと水槽に閉じ込められたかのように、古びた布の中で息を潜め、静かにこちらをうかがっていた。



布から鼻先をのぞかせていたそれは、紛れもなく生物の顔形をし、喉元の皮膚をゆっくりと伸縮させて呼吸している事を物語る。
“何かがいる”。
確信し、水槽を傾けて揺すると、それは慌てたように布の中から飛び出し警戒した様子で水槽の側面に身を寄せた。
爬虫類に近い肢体と、水槽の壁面に張りついて止まる様子から、私はヤモリを連想する。
白い皮膚は、ほつれたようにぼろぼろで不揃いである。
ふと机を見ると、小包の箱の中にヤモリの皮膚と似た白いぼろぼろがぞんざいに同梱されていた事に気付いた。
どうやら脱皮殻のようである。
白いぼろぼろはヤモリの古い皮膚であり、目の前の個体もまた脱皮が近いのであろう。
脱皮の近い爬虫類というのは剥がれかけの皮膚を引きずっていてどうにもみすぼらしく見えるものであるが……私は、このヤモリの姿に美しさを感じた。
脱皮前であり、解れたように古い皮をぼろけさせた姿であるというのに、垂れ下がる白く薄い皮膚がまるで羽衣のように見えるではないか。
風にたなびく薄布の風合い……この儚い美しさの佇まいに相応しい名前は一つしか無い。

私は目の前の奇妙なヤモリに名付けた。
「白容裔」……と。

それにしても、小虫だらけで気味が悪い。
見れば、小虫の幼虫らしき小さな芋虫はヤモリの身体の美しい皮膚にびっしりと付着してしまっている。
何よりぼろ布のせいでヤモリの姿がよく見えない。
ケースを庭に持ち出して虫を逃がし、ぼろ布を取り出そうと思い立ち、私がケースを持ち上げたその時、ヤモリがおもむろに首を動かし、水槽の壁面に止まっていた小虫を啄むようにして食べた。

他種のヤモリ同様虫を食べるのであれば、庭の草むらで虫を調達してくれば飼育できるだろう。
目にしたヤモリの行動でそんな安心感も手伝って、私は水槽の中の小虫を全て逃がし、ぼろ布を取り出して捨て、獣医が爬虫類に使う皮膚寄生虫駆除の為の固形駆虫剤を入れて、ヤモリの水槽を静かな土間の端に移した。



翌日、庭で捕らえたバッタを与えようと水槽を覗き込んだ私はヤモリの異変に気付いた。
壁面に張りつく事を止め、底面に降りてしまっている。健康なヤモリならまずとらない体勢だ。
霧吹きをしても水を飲まず、ピンセットでつまんだバッタを目の前に運んでも食べない。
仕方なく数匹のバッタやガを水槽に放し、ヤモリの為に板きれを立て掛けた隠れ場所を作って、その日の世話を終えた。



それから二日経ち、ヤモリは死んでしまった。
水槽の底面に這いつくばったまま、水を飲む事も、虫を一匹も食べる事も無く。
死んで尚美しい、羽衣の如き白い皮膚の痩せた死骸を手にとると、しっとり掌に馴染むように滑らかで柔らかい。
駆虫剤の効果で芋虫は全て落ちている。同時に、爬虫類の皮膚のものではない感触を覚えた。
羽衣の白を指で撫でれば、僅かに糸を引いて剥がれる。
これは皮膚ではない。
分泌物だ。

そう、たとえば、蚕の吐く糸にとても近い――――

私は全てを理解した。
水槽に飛び回り、ヤモリの身体にまでわいていたあの虫、あれは「イガ」だった。
衣蛾。ガの仲間だが、特に衣類、動物質の繊維の織物を食べる種である。
動物質の繊維というのは例えばウール、そして…シルク……
あのヤモリは、イガを専食する生き物だったのだ。
それ故、人の衣装箪笥に紛れるために羽衣のような、布のような姿をしていたのではないだろうか。
更にあの“羽衣”にはもう一つ理由があった。
イガは低温下では休眠し繁殖を行わない。
それを補うものこそ、ヤモリの羽衣状の分泌物。
体表を保温し、更に蚕の糸と――動物質繊維であるシルクと同質の“餌”を纏う事により、冬でもイガを確保しているのだ。
いわば、イガの自家養殖。まさに「イガの温床」と呼べるものを自らの身体に持つ事で、リスクの多い食性を“自給自足”で満たしていたというわけか……――。



あれは妖怪だったのか。
そう聞かれても私には答えられる言葉は無く、そんな質問を投げかける者もいない。

しかし、私は「白容裔」と“呼べるかもしれないもの”をあの時確かに手にしていたのだ。
「白容裔が雑巾の教訓妖怪」
「布巾の勿体ないお化け」
などというデタラメを切って捨てる知識だけではない。
彼が“妖怪”ではなく“生物”かも知れないという真実さえ手にしかけていたのだ。
……しかし、私はそんな“生ける証拠”を、私自身の手で失ってしまった。

何という事だろう。
私が最も嫌う“好奇の無知”を叩き伏せて余りある程の事実を、存在を――いや、羽衣のように儚く美しいあの生物の“命”を。
一滴の水も口にせず屍となった私の「白容裔」は今、桐箱の中で、二度と動かぬ乾いた身体を横たえている。
箱を開ければ鼻をつくナフタリンの匂いとともに、虚ろな顔が私に訴えかけてくる気がする。


「勿体ない。勿体ない」
と。



***********

本日4日目終了しました。
暑い中、足運んでくださった皆様、有り難うございました。

明日も良い日でありますように!

【開催中】
http://69lynx.blog.shinobi.jp/Entry/47/



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